妻と歩むうつ病闘病(自宅療養編)⑩ 反抗的になったのはお前が原因

義父との電話再び

夜の9時過ぎに義母が家を出ていき、義父がそのあとを追いかけに行くため電話は途切れました。

そして10時過ぎくらいに義父が義母を家へ連れて帰ってきました。

義父から再び私の携帯電話がかかってきました。

義父「今(義母)は別の部屋で休んでいる。」

再び義父と私、妻の3人での話し合いが始まりました。

義父「私の思いとしては(義母)と(妻)が直接話をしてほしい。」

義父「義母の精神状態がどんどん悪くなっている。一度だけでいいので義母と会って話をしてほしい。」

妻「今は会いたくない。(義母)と話すのが怖い。」

義父「自分の母親なんだから、(妻)の気持ちをしっかり受け止めてくれるから大丈夫。」

妻「信用できない。今の(義母)の状態で話が聞けるとは思えない。

私「今は(義母)の状態も(妻)の状態も良くはないので、落ち着いたら話しましょう。」

平行線をたどり、義父も義母の状態をみて余裕がないのか、無理やりにでも会わせたいので、お互いに引くことはありませんでした。

義父からの一言

お互いに一歩も引かないやり取りの中、ついに父から私へきつい一言が放たれました。

義父「今回ここまで話がこじれてしまっているのは、(妻)を見てもらっている(私)には申し訳ないのだが、すべて(私)が原因になっている。

と言われました。

義父「(私)が(妻)の言うことを何でも、そうだね。と肯定し続ける限り問題が先送りにされてしまう。現状として居心地の良い避難場所になっている。」

とのこと。

私は怒りのような諦めのような、「もう義父とも話をしても意味がないな」と思った瞬間でした。

ブチギレる妻

そして義父が私に対して放った一言を聞いた瞬間、妻の声がいきなり変わりました。

妻「(私)は関係ないでしょ!私が今母さんに会いたくないって言ってるだけでしょう!」

そう言い放つと妻は私が持っていた携帯を取り上げ、通話終了のボタンを押してしまいました。

私は「え?」と思いつつも、これ以上義父と何を話せばよいのかわからなかったので、内心ほっとしました。

電話を切った後も妻は「許せない!」と感情をむき出しにしていたので、ここまで親に対して妻が怒っている所をみたことがなかったので、かなり驚きました。

その後義父からのラインが決ましたが、義父の思いとしては、

義父「(私)が(妻)をすべて肯定して突き放すことをしなかったことが今回こじれた原因で、すぐに(妻)と (義母)が会っていれば修復に向かうことができた。」

義父「どんな状況であれ母親と娘が会って話をすれば親子なんだからちゃんと修復はできる。」

義父「(私)にも(妻)にも強くなって欲しい。」

とのこと。

その後私の思いもラインで伝えましたが、伝わるはずもなく話し合いは終わりました。

私たちと義父母との溝

このやり取りの後2年経過した現在、今までに2回ほど義父母から「(妻)の状態を教えて欲しい。」という連絡が入りましたが、

私や妻から直接返答はせず妻の妹や私の母にお願いして、間接的に近況を報告している状態です。

妻が病気になる前までは義母がパン教室の先生なので自宅でピザを作らせてもらったり、義父はヨットを持っていたので、一緒にクルージングをするなど比較的良い関係を築けていたように思います。

そう思うとここまで義父母との溝が深まるとは思いませんでした。

仕事の同僚に妻の看病を一人でしていることを伝えると、「両親は手伝ってくれないの?」とか「両親と早く仲直りしないと」という言葉を言われたことがありましたが、心が締め付けられる気持ちになってしまいますね。

2年経った現在もまだまだ闘病中なので、義父母と話す気力、体力は私も妻もありませんが、うつ病の症状が治まってきたら、義父母との今後の関係について考えられたらと思っています。

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