妻と歩むうつ病闘病記⑧ 校長から発せられた言葉

妻のトラウマ

耳が聞こえなくなり一日休んで近くの耳鼻科で診てもらいましたが異常なしと言われ、

専門の医療機関へ診てもらうために次の日も休まなければならなくなりました。

連続で休むことになり、授業や特に文化祭が間近だったため引継ぎが必要になり、耳鼻科に行った後に妻が務める学校へいくことになりました。

私「一緒に職員室まで行こうか?」と言いましたが、

妻「大丈夫」

と大丈夫ではない様子で言いました。

今思うと絶対行った方がよかったと思いましたが、当時職場へいきなり夫がいくのも社会人として印象がよくないのかなぁとか

しょうもないことを考えていたこともあり、私は行かない選択をしてしまいました。

学校へ行った妻、私は引継ぎは30分くらいで内容を伝えたらかえって来るのかなと思っていましたが、

1時間以上経っても帰ってこず、結局かえってきたのは1時間半を過ぎたあたりでした。

妻が帰ってくると半泣き状態です。

私「時間だいぶかかったね」というと、

妻「仕事させられてた」といいました。

私「はい?耳が聞こえないことは伝えたんよね?」ときくと

妻「言った、でも最低限これはやってほしいと言われた」

私は「この学校の校長は頭がおかしいのか?」と思ってしまいました。

有給休暇を取っている職員に対して、さらに耳がほとんど聞こえていない状態とわかっていながら、仕事をさせる。

しかし、それよりも妻が今もそのトラウマに苦しんでいる一言があります。

それは校長から言われた一言。

校長(妻)が休んだせいで他の先生に迷惑がかかってるの、わかってる?

です。

妻は学校へ行く前から、自分が休んだせいで学校に迷惑をかけてしまったことを責め続けていました。

そこに追い打ちをかけるような一言。

さらに同じ学年の主任先生にも休むことを伝えると、イライラしながら「わかりました。」

の一言が返ってきたそうです。

帰りの車の中では「もう学校行くの怖い。」と泣き続けていました。

まとめ

今振り返ってみると、改めて学校の働く環境がとても悪かった様子がわかります。

私自身も今なら自分が前に立って、学校側と話しができるのに、なぜしなかったのか後悔の気持ちがとてもあります。

学校側に何を思われても妻を守る方が大事ですからね。

病気になった方も、支える方も大事にする人の優先順位を間違えないようにしてくださいね。

まずは「自分」、次に「自分の身近な大切な人」ですよ!

仕事や社会の一般論に惑わされないでくださいね!

それではみなさん「人生をHappyに!」

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